スタッフ紹介
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オフィス伊丹 代表 プロフィール
氏名 | 赤土 真一 |
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血液型 | A型 |
趣味 | ゴルフ、スポーツ鑑賞(野球・ゴルフ・サッカー・アメリカンフットボール等)、飛行機 |
好きな食べ物 | お寿司、新鮮な魚介類、スイーツ(なんでも!) |
資格 | 柔道整復師 はり師 きゅう師 日本カイロプラクティック徒手医学会 会員 哈爾濱(ハルピン)医科大学 短期医学研修 修了 |
誕生~幼少期
1974年(昭和49年)12月、尼崎市の診療所で産声を上げました。
父は祖父の経営する理化学品の卸し会社に勤務し、母は小学校の教諭でした。
父母の長男として生まれ、愛情いっぱいに育てられました。
母方の祖父母にとっては久しぶりの男孫ということで、祖父母にもたいそう可愛がっていただきました。
両親は共働きで、生後8週から保育園での生活。
人見知りなどあまりなく、人懐っこく誰にでもあずかってもらえる子だったそうです(笑)
祖父母にもあずけられることが多く、おばあちゃん子で育ちました。
少年~青年期
両親のおかげで、特に苦労することなくノビノビと成長しました。
小学3年の時にスキーで骨折し、1か月の入院生活で見事に肥満体型になり(お見舞いのおやつで(笑))、小学生時代はコンプレックスとして引きずっていました…。
中学に入り、剣道やバレーボールをすることでホッソリとなり体型としては一番のモテ期か!?…と思われましたが残念ながらあまりモテず…。
高校に入り、スポーツはあまりせずに勉強に励む。今でも大切な親友や仲間に巡り合いました。
幸い浪人などせずに大学へ入学。高校時代の反動か、あまり勉学には励まず、アメリカンフットボールに打ち込みました。
この時の経験・体験によって、人間的にも成長させていただいたと、今でも感謝しています。切磋琢磨した仲間たち、先輩後輩たちには今でも刺激を受け、頑張れる原動力になっています。
アメリカンフットボール時代にケガをしたことで、鍼灸接骨院に通っていたこともあり、この仕事に興味を持ちました。
専門学校~修業期
柔道整復師の専門学校(行岡整復専門学校)に入学し、勉学に遊びに励みました(笑)。
奥さんともこの時に出会いました。卒業時には”大阪府知事賞”(成績優秀者(^-^)v)なるものを頂き、国家試験もパス。
柔道整復師免許を取得してすぐに鍼灸の専門学校(平成医療学園専門学校)に通い始めます。
在学中、学生という身分でありながら結婚!伊丹市の現在の家に越してきました。
鍼灸科3年時には中国ハルピン医科大学に医学研修生として短期留学し、成績トップで帰国。国家試験はもちろんパス!初めての子を授かった年でもあります。
柔道整復師の専門学生だった頃からお世話になっていた尼崎の接骨院を8年で退職し、神戸の鍼灸接骨院に勤務。その後、短い間でしたが西宮の鍼灸接骨院の分院長も経験させていただきました。
現在3人の子供に恵まれ、仕事に育児に奮闘中です!
施術家になって
施術家になり、接骨院に勤務していた当時、ほとんど毎日マッサージをしていました。その時はまだまだ施術といえたものではなかったと思います…。
しかし、やはりマッサージだけでは満足度はあっても完全には良くなっていかない…。
なぜだろう?どうすれば痛みを取って楽にしてあげられるのだろう?そんな悩みを持ち始め、様々な技術を勉強していかなければ!と思うようになり、セミナーや勉強会に出ようと考えました。
そこで、大学時代の先輩に誘われて行ったセミナーの講師であった現在の師匠に巡り合いました。
そこから師匠の勉強会に参加させてもらうようになり、今の施術のベースになっている考え方、技術を教わり始めました。
最初は勉強会に出ても高度な内容で、キッチリ理解できなかったのですが、マッサージではない施術、原因へアプローチする施術を模索しながらやり始めるようになりました。
そうすると、今まで良くならなかったり良くなりにくかった方が次第に変化が現れ、結果が少しずつですが出るようになってきました。
その時から、今のような施術体系に少しずつ自信を持てるようになり、自分の城を構えてやろう!と、師匠の院から冠名を頂戴し、2010年に『オフィス伊丹』を開業させていただきました。
今でも師匠のところへは月に一度、勉強会に参加させていただいています。師匠のアップグレードの速さは凄まじく、追いつこうと必死のパッチです(笑)
最後に…
こんな僕ですが、オフィス伊丹にお越しいただいた方の苦痛を取り除き、悩みを解決できるよう全力で施術にあたりますので、何卒よろしくお願いいたします。
※保険外施術にのみ適用されます。
1日1名様限定!
※ 非通知の営業の電話やFAXが多く入るため、
ご面倒ですが発信者番号を通知してお電話ください。
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